スーパーフォーミュラ開幕戦もてぎではトヨタが速さを見せる中、ホンダ勢は1台しか予選Q3に進出できませんでした。
その唯一のホンダドライバーとして予選4位と躍進したのがルーキーの大湯 都史樹(おおゆ としき)選手です。
レースこそオープニングラップで大きく順位を落としてしまい、決勝15位と国内トップカテゴリーからの厳しい洗礼を受けましたが、レース関係者にその存在を強くアピールできたことは間違いないはず。
今回は大湯都史樹とはどんなドライバーなのかを見てみることにします。
ライバルは角田裕毅?!SRS-Formulaを主席卒業
1998年8月4日生まれ、今年22歳の北海道出身ドライバーである大湯選手は、全日本カート選手権を経験したのち、2015年にスーパーFJ 岡山チャレンジカップにステップアップ。
その年のシリーズチャンピオンに輝き、スーパーFJ 日本一決定戦では2位の好成績を納めています。
翌2016年には、FIA-F4とJAF-F4に参戦し、FIA-F4選手権はシリーズ3位、JAF-F4選手権は東地区・西地区の両シリーズでシリーズチャンピオンを獲得と、その非凡な才能を開花。
同年、鈴鹿サーキット・レーシングスクール・フォーミュラ(SRS-Formula)を見事主席で卒業し、スカラシップ選考会にも選抜されているんです!
鈴鹿サーキット・レーシングスクール・フォーミュラ(SRS-Formula)とは、世界で通用するレベルの日本人ドライバーを育てるため、プロのレーシングドライバーが講師を務め、トップレベルのドライビングスキルと知識を若いドライバーに伝授するレーシングドライバー育成プログラムのこと。
そこでスカラシップ選考会に選ばれると、ホンダの若手ドライバー育成プログラムHFDP(ホンダ・フォーミュラ・ドリーム・プロジェクト)の傘下に入ることができ、ホンダからの強いバックアップのもと、トップカテゴリーへの道が拓ける仕組みになっています。
SRS-Formulaの卒業生を見ますと、国内外で活躍しているドライバーは下記の通り、そうそうたる顔ぶれが名を連ねています。
- 佐藤 琢磨 (さとう たくま) 1977年卒
- 山本 尚貴 (やまもと なおき) 2006年卒
- 松下 信治 (まつした しんじ) 2011年卒
- 福住 仁嶺 (ふくずみ にれい) 2013年卒
- 牧野 任祐 (まきの ただすけ) 2015年卒
- 角田 裕毅 (つのだ ゆうき) 2016年卒
・・・皆さん、気が付きましたか?

2016年 SRS-Formula スカラシップ生
実は今年のFIA F2選手権の第5戦イギリスで初の優勝を飾り、現在FIA F2シリーズランキング4位といま最もF1に近い日本人No.1ドライバーの角田選手とSRS-Formulaの同期生なんです!
大湯選手が1998年8月生まれ、角田選手が2000年5月生まれと年も近いこともあり、2016~2017年ではFIA-F4、JAF-F4で直接競ったこともある、いわゆるライバル関係の2人です。
酸いも甘いも味わった、スーパーフォーミュラ・デビュー
そんな大湯選手は、2018~2019年、全日本フォーミュラ3選手権に参戦の後、晴れて今年よりスーパーフォーミュラ(#65 TCS NAKAJIMA RACING)とスーパーGT GT300(#55 ARTA NSX GT3)のレギュラーシートを獲得しました。
スーパーフォーミュラ開幕戦のもてぎでは、土曜のフリー走行でトップタイムをいきなりたたき出し、予選ではホンダ唯一のQ3進出を果たすなど、ルーキーらしかなる活躍を見せています。

スーパーフォーミュラ Rd.1もてぎ 予選Q3タイム
しかし決勝レースでは残念ながら15位と結果を残すことができませんでした。
その理由は、オープニングラップで関口雄飛(ITOCHU ENEX TEAM IMPUL)と競った際のこと。
2台が接触し大湯選手が車両のバランスを修正している中でピットレーンリミッターを誤って押してしまい、結果その周に止む無くピットインせざるを得なかったためです。
大湯選手はこのようにインタビューに答えています。
「押した感覚もなく、通常ならステアリング上に表示が出るものも、あのときは最初の設定が違っていたようで、出ていなかったのでまったく気がつきませんでした。
接触後も普通に走れていたので、突然スローダウンしたときは『なんでだ⁉︎』ってなってしまって。
ギヤなども変えてみたけど戻らず、ピットに入ることになってしまいました」引用元:https://www.as-web.jp/super-formula/619336?all
スーパーGTでも、第2戦の富士でさっそく3位表彰台の好成績を獲得しましたが、一方、第3戦の鈴鹿では表彰台を狙えるポジションでレース展開している矢先、残り3周というところで前車と接触してレースを終える苦い経験もしています。
成功だけでなく、このような苦い失敗もしながら経験を積み重ね、近い将来、トップのレーシングドライバーに成長されていくんでしょうね。
レースを離れれば普通の22歳
今年7月より、大湯選手は公式のyoutubeチャンネルを開設されています。
そこでは、レース前にレーサーがどんなことをしているのか、どんな感じで1日を過ごしているのかが紹介されています。
こういう情報はなかなか手にすることはできませんので、ご興味のある方は下の動画をぜひ見てみてください。
レーシングドライバーと聞くと格好いいイメージがある反面、一般の方にとってはちょっと怖かったり、住んでいる世界が違うようなイメージを持たれたりしないでしょうか?
でもyoutube動画内の大湯選手は、レーシングスーツを着ていないとおとなしい感じの普通の20代ですよね(笑)
そんなギャップのある一面も、彼の魅力の1つなのかもしれません。
最後に
栄枯盛衰、時が過ぎるとともに今のトップドライバー達も引退して次の世代にバトンタッチしていくものです。
大湯選手をはじめ、若くて活きのあるドライバーがどんどんと登場し、熟練したドライバー達とコース上で熱いバトルをどんどんと繰り広げていってもらいたいと思います。
彼らが目一杯コース上で暴れてもらえるように、皆さんで若手ドライバーもどんどん応援していきましょう。
以上、大湯都 史樹選手の紹介でした。
コメント
大湯選手は、srs-fでも主席で卒業したにも関わらず目を向けてもらえなかったドライバ-でした。政治的によわかったといわざる面がつよく角田よりも確実に早いドライバ-です。Fにあたっても成績がいいときは、他の成績のあがらないドライバ-にマシンを変えられたり、部品も他車の車を優先されたばかりに粗悪なものを使って参戦したという情報もメカニックからでていました。それ故レ-ス中にマシンが損傷してしまったりというアクシデントが積み重なり目を向けられていない状況が見受けられます。角田をF4にて優勝させる為には、不利益なドライバ-としてF3にあげられたのではないでしょうか。F3初年度は、練習中に鈴鹿でコ-ナ-で横転してしまうこともありフレ-ム事態に問題があったかのような映像が残っています。本来であれば海外で遠征されるべき人材でしたが、大湯のみ主席であったにも関わらずシ-ズン遠征をされなかった点からも政治的な動きで押さえられていたと思います。通常では考えられないコ-ナ-のクリッピングホイントまでのブレ-キングの仕方は、特筆的なものでありいままでの日本のドライバ-では見たことのないブレ-キを使えてます。それ故、コ-ナ-の早さは角田よのーりも早いタイムで立ち上がっていきます。もし、大湯がF1に上っていれば、表彰台でしょう。
よくごぞんですね。北海道からレ-ス界に参加することは、いまだに大きな壁があります。
どうしても北海道から参加するスポ-ツではないといった印象がカ-ト界からもあるのが現実です。
北海道、都落ちの人 といったことをよく耳にしてしまう世界です。
モ-タ-スポ-ツが全国に均等に栄えないのもこのような原因もあることも事実です。
大湯都史樹は、北海道といった場所からなんとか「希望」をつなぐために自らの人生をかけて這い上がってきた人物です。
特にファ-ンサ-ビスでは、小さな子供たちに「夢」をもたせたいと願い 子供たちと一緒に写真などを取ることを心がけてますが、どんな苦境でも乗り越えてほしいと願ってレ-スをしているようです。
すべてが自分のトップに立つことだけではなく、モ-タ-スポ-ツによって「夢」の素晴らしさを多くの人へ影響を与えて行くことが活動目的のようです。
これまで、政治的にも自動車関係につながっている他のレ-サ-達とは異なっていて環境が整わなかったことと思いますが、是非とも皆が理解してあげてほしいです。