概要
物質が移動する現象を理解する上で、拡散係数(diffusion coefficient)は非常に重要な役割を果たします。
特に、Fickの法則に登場する係数として、拡散係数 \( D \) は、濃度勾配に基づいて物質がどのように拡散するかを定量化するために使われます。
拡散係数 \( D \) は、単位面積あたりの単位時間あたりに移動するモル量に関連します。
Fickの法則における基本的な式は以下の通りです:
$$
N_1 = -D_{12} \frac{dc_1}{dx}
$$
ここで、
- \( N \) : 単位断面積、単位時間あたりの移動モル量 \([mol/(m^2・s)]\)
- \( D_{12} \) : 成分2に対して成分1が拡散する場合の相互拡散係数 \([m^2/s]\)
- \( \frac{dc}{dx} \) : 濃度勾配 \([(mol/m^3)/m]\)
この式では、拡散係数がどのように物質の移動に関与しているかがわかります。
特筆すべきは、拡散係数は対称的であるため、以下の関係が成り立ちます:
$$
D_{12} = D_{21}
$$
したがって、どちらか一方の拡散係数について議論すれば、もう一方についても同じ結果が得られるため、問題が簡素化されます。
この記事では、主要な物質の拡散係数の実測値と、拡散係数を推定するための推算方法について詳しく解説します。
拡散係数の実測値
実測値:気体の拡散係数
まず、代表的な気体の相互拡散係数について、1気圧下での実測値を示します。
下の表では、さまざまな物質が空気中でどの程度の拡散係数を持つかが記されています。
物質 | 温度 [K] | 拡散係数 \( D \) [m²/s] | 物質 | 温度 [K] | 拡散係数 \( D \) [m²/s] |
---|---|---|---|---|---|
アルゴン | 273 | 1.68×10⁻⁵ | o-キシレン | 298 | 0.727×10⁻⁵ |
アンモニア | 298 | 0.844×10⁻⁵ | m-キシレン | 298 | 0.688×10⁻⁵ |
一酸化炭素 | 273 | 1.78×10⁻⁵ | p-キシレン | 298 | 0.670×10⁻⁵ |
酸素 | 273 | 1.80×10⁻⁵ | メタノール | 298 | 1.52×10⁻⁵ |
水素 | 273 | 6.65×10⁻⁵ | エタノール | 298 | 1.181×10⁻⁵ |
ヘリウム | 276.2 | 5.31×10⁻⁵ | ブタノール | 298 | 0.861×10⁻⁵ |
二酸化炭素 | 276.2 | 1.42×10⁻⁵ | アセトン | 298 | 1.049×10⁻⁵ |
これらの値からわかるように、気体の拡散係数は概ね10⁻⁵ m²/sのオーダーであり、特に軽い気体ほど拡散係数が大きい傾向があります。
実測値:液体の拡散係数
次に、液体中での拡散係数の実測値についても見ていきます。
以下は、いくつかの溶質が水中で拡散する場合の実測データです。
溶質 | 溶媒 | 温度 [℃] | 拡散係数 \( D \) [m²/s] |
---|---|---|---|
アセトン | 水 | 20 | 1.16×10⁻⁹ |
エタノール | 水 | 15 | 1.00×10⁻⁹ |
酢酸 | 水 | 20 | 1.19×10⁻⁹ |
酸素 | 水 | 25 | 2.60×10⁻⁹ |
水素 | 水 | 25 | 3.36×10⁻⁹ |
液体中の拡散係数は、気体に比べて10⁻⁹ m²/sのオーダーと小さく、液体内での拡散が気体よりもはるかに遅いことがわかります。
拡散係数の推算法
気体拡散係数の推算法
気体分子運動論に基づいた拡散係数の推定方法として、Fullerの式があります。
この式は、以下のように表されます:
$$
D_{12} = 10^{-3} \cdot \frac{T^{1.75} \left( \frac{1}{M_1} + \frac{1}{M_2} \right)^{0.5}}{P \cdot \left( (\sum v)^{1/3}_1 + (\sum v)^{1/3}_2 \right)^2}
$$
ここで、
- \( D_{12} \) : 拡散係数 \([cm²/s]\)
- \( T \) : 温度 \([K]\)
- \( P \) : 圧力 \([atm]\)
- \( M \) : 各成分の分子量 \([g/mol]\)
- \( \sum v \) : 拡散体積
拡散体積は下表の値を足し合わせます。
拡散体積 \( \sum v \) | 拡散体積 \( \sum v \) | ||
C | 16.5 | Ar | 16.1 |
H | 1.98 | Kr | 22.8 |
O | 5.48 | Xe | 37.9 |
N | 5.69 | CO | 18.9 |
Cl | 19.5 | CO2 | 26.9 |
S | 17.0 | N2O | 35.9 |
ベンゼン環 | -20.2 | NH3 | 14.9 |
ヘテロシクロ環 | -20.2 | H2O | 12.7 |
H2 | 7.07 | CCl2F2 | 114.8 |
He | 2.88 | SF6 | 69.7 |
N2 | 17.9 | Cl2 | 37.7 |
O2 | 16.6 | Br2 | 67.2 |
Air | 20.1 | SO2 | 41.1 |
例えば、エタノールの空気中での拡散係数をこの式を使って求めることができます。
エタノールの拡散体積は以下のように計算されます:
$$
\sum v = 2 \cdot C + 6 \cdot H + O = 2 \cdot 16.5 + 6 \cdot 1.98 + 5.48 = 50.36
$$
空気の拡散体積は \( \sum v = 20.1 \) であり、これらの値を用いるとエタノールの推算拡散係数は約 1.23×10⁻⁵ m²/s となり、実測値の 1.18×10⁻⁵ m²/s と非常に近い結果が得られます。
ただし、この推算法は極性気体の混合物には適用できませんのでご注意ください。
液体拡散係数の推算法
液体の場合、Wilke-Changの式が用いられます。
これはStokes-Einstein式を基にした経験式で、以下の通りです:
$$
D_{12} = 7.4 \times 10^{-8} \cdot \frac{\left( \phi M_2 \right)^{0.5} T}{\eta_2 V^{0.6}_1}
$$
ここで、
- \( D_{12} \) : 相互拡散係数 \([cm²/s]\)
- \( M_2 \) : 第2成分の分子量 \([g/mol]\)
- \( T \) : 温度 \([K]\)
- \( \eta_2 \) : 第2成分の粘度 \([cp]\)
- \( V_1 \) : 第1成分の分子体積 \([cm³/mol]\)
- \( \phi \) : 会合定数
会合定数 \( \phi \) は、第2成分の物質によって下表の値を使い分けます。
第2成分 | 会合定数 \( \phi \) |
水 | 2.6 |
メタノール | 1.9 |
エタノール | 1.5 |
プロパノール | 1.2 |
その他の液 | 1.0 |
例えば、水中におけるエタノールの拡散係数を求める場合、会合定数 \( \phi = 2.6 \) を用いて計算すると、推算値は 1.84×10⁻⁹ m²/s となり、実測値の 1.77×10⁻⁹ m²/s とよく一致します。
まとめ
この記事では、拡散係数の理論、実測値、推算方法について解説しました。
物質移動を扱う際、拡散係数は非常に重要なパラメータです。
気体と液体の拡散係数の違いや推定方法を理解し、実際の問題に適用する際には単位の取り扱いにも注意を払いましょう。
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